関東で仏教を伝えられた親鸞聖人

 
40歳を過ぎ、越後(新潟県)から関東へ赴かれた親鸞聖人は、
常陸国(ひたちのくに・茨城県)稲田を拠点に20年、関東で仏教を
伝えられました。その常陸で、当時一大勢力を誇っていたのが
山伏・弁円という男でした。しかし、親鸞聖人が稲田で真実の教えを
説かれ始めると、親鸞聖人のもとへ参詣する人が一人また一人と増え、
弁円の人気は衰えていきます。恨み、妬みに身を焼いた弁円。
彼は、親鸞聖人を呪い殺す祈祷を行うようになりました。
だが、効き目はサッパリ。業を煮やした弁円は、聖人を亡き者にしようと
機会をうかがっていました。そんなおり、親鸞聖人が柿岡村に
布教に行くため、人里離れた板敷山(いたじきやま)を通ることを
耳にしたのです。
「チャンスだ」
聖人を害せんと、弟子を従え待ち伏せた。ところが聖人は現れず、
やがて、親鸞聖人一行は、とっくに柿岡に到着しているとの知らせ。
「おのれ親鸞、帰りこそは」と潜伏するが、またも失敗。親鸞聖人は
地元民の案内で猟師道を通って難を逃れていたのです。
次こそは、次こそはと聖人暗殺の陰謀を巡らすも、計画は
ことごとく失敗に終わりました。
 
そして遂に、衝撃の事件が起きました。有力な弁円の弟子が十数名を
引き連れて親鸞聖人のもとへ走ったのです。怒髪天を突いた弁円。
剣をかざして親鸞聖人の稲田の草庵へ押しかけます。
「やい、親鸞いるか! み仏に代わって成敗してくれるわ! 出てこい!!」
門前の怒号に、門弟たちは血相を変えて聖人のもとへ集まった。
「お師匠さま。どうか裏から安全な所へ」
懇願する弟子たちに聖人は諭される。
「親鸞が弁円殿の立場であれば、親鸞が押しかけていくだろう。
 謗るも謗られるも、恨むも恨まれるも、ともに仏法を伝える
 尊いご縁なのだ。会わせてもらおう」
弁円は門を破って境内に乱入し、玄関前に仁王立ちになる。
「出てこないなら、こちらから踏み込むぞ!」
怒気、充満の中、静かに引き戸が開き、「お待たせしました。弁円殿」
と聖人が姿を現される。
「親鸞か……。覚悟せえ!」
ギラリ剣を振りかざし、親鸞聖人に切りかかっていく弁円。
聖人は、数珠一連持たれたのみ。何のてらいもなく無造作に立たれる
そのお姿に、弁円の足が止まる。弁円はわが目を疑った。
燃やせる全てを燃やし、憎悪の炎を湯気のように立てている自分に、
「よく参られた」と手を伸ばさんばかりの聖人の笑顔は仏か、
菩薩か……。これが不倶戴天の怨敵と呪い続けた親鸞か……。
刀をもつ手は力なく震え、見る見るうちに殺意は消え失せ、
両の掌(てのひら)から剣が滑り落ちた。
 
「ああーっ!俺は間違っていた。俺は、間違っていた」
がっくりと大地に膝を突き、血走っていた眼から、
熱い悔恨の涙が止めどなくあふれ出た。
「弁円、一生の不覚。お許しくだされ、親鸞殿。稲田の繁栄を妬み、
 己の衰退をただ御身のせいにして憎んでいたこの弁円。
 思えば恐ろしい鬼であった。どうか今までの大罪、
 お許しくだされーっ」
泣き崩れる弁円の肩に、聖人はそっと手を置かれる。
「いやいや弁円殿。そなたは正直者じゃ。まこと言えば親鸞も、
 憎い、殺したい心は山ほどあり申すが、それを隠すに
 ほとほと迷惑しておりまする。それに引き替え、
 弁円殿は思いのままにふるまわれる。素直な心が羨ましい」
「親鸞殿……。こんな弁円でも助かる道がござろうか」
「何を言われる弁円殿。こんな親鸞をも、阿弥陀如来は救いたもうた。
 煩悩逆巻く、罪悪深重の者こそが正客、と仰せの弥陀の本願じゃ。
 何の嘆きがあろうか」
「ああ、親鸞殿。どうか、この弁円をお弟子の一人に
 お加えくださるまいか。お願い申す。お聞きくだされ!」
「いやいや弁円殿。親鸞には一人の弟子もあり申さぬ。
 ともに弥陀の本願を聞信(もんしん)させていただくわれらは
 『御同朋、御同行(おんどうぼう、おんどうぎょう)』。
 喜ばしき友であり、兄弟なのだ。弁円殿も早くお聞きくだされ」
見守る弟子たちの頬にも涙が伝っていた。かくて弁円は、
親鸞門下の一人、明法房(みょうほうぼう)と生まれ変わった。
 
索引: 親鸞会『親鸞聖人とは』